【森永卓郎】「やめる」から始める人生経済学
【森永卓郎】「やめる」から始める人生経済学(2004/10/6)
※以下抜粋
■p77
精神科医の和田秀樹さんが、次のような話をしてくれた。
人間の行動には「内発的動機」からくるものと「外発的動機」からくるものがある。内発的動機とは、心の中から湧き出してくる欲求、つまりは「楽しい」という気持ちだ。一方、外発的動機とは、何か見返りがあることだ。
次のような有名な実験がある。知恵の輪遊びが大好きな1匹のチンパンジーがいる。このチンパンジーは、放っておくと1日じゅうでも知恵の輪で遊んでいるが、あるときから成功したらバナナを与えるようにしてみる。するとほどなく、バナナをやらないと、チンパンジーは知恵の輪で遊ばなくなってしまう。
この実験で何がわかるかというと、行動に外発的動機が加わると、結果的に行動そのものへの興味が薄れるのである。
この法則は、人間と仕事の関係にも当てはまる。
本来であれば、仕事は楽しいものだ。農業も漁業も楽しい。接客商売も楽しい。単純なモノづくりや労働作業も楽しい。
たとえば、旋盤工に話を聞くと、旋盤ほどワクワク、ドキドキする仕事はないという。パワーショベルのオペレーターは、でかいシャベルを操作して、めざすとおりにセンチ単位で土を削っていく作業はゾクゾクしっぱなしだという。
こうした「やりがい」は、どんな仕事にもそれなりにある。ところが、そこに「おカネの論理」が入ってくると、どうなるか。人はカネに弱い。仕事に対する思いをカネが支配してしまう。以前は感じていた仕事への興味や楽しさを、知らないうちに忘れてしまうのである。
同時に、自分のしている仕事に、もっと多くの報酬を払ってほしいと考えるようになる。そうなると、おカネに対する欲望は膨れあがる一方になる。
■p134
長年、サラリーマンを観察してきて、そんなカイシャ人間には、共通する特徴があることに気づいた。会社の話をするとき「ウチの会社は……」などと、必ず頭に「ウチ」がつく。まるで「ウチの親父が」とでも言っている感じで、会社という「人格」が存在するような口ぶりなのである。
すごくあたまりまえのことを言うが、会社とは、単に書類上の存在に過ぎない。「会社」なんて人はいない。「ウチの会社」と言う人は、どうも、そこの認識が甘い。それで、自分の人生のなかで必要以上に会社が大きな存在を占め、意味を持ってしまう。
(中略)
こういうカイシャ人間は、たいてい男性だ。女性社員には、ほとんどいない。
女性は「ウチの会社」とは言わず「この会社は」と言う人が多い。男性よりも会社を突き放して客観的に見ている。
なぜ女性にはそれができるのか。それは彼女たちと話していると、見えてくる。「いざとなったら、こんな会社辞めてやる」と覚悟を決めている人が多いのだ。会社に取り込まれず、会社と対等なスタンスをとっているのである。
これはとても大切なことだ。会社から距離を置き、冷静な目で見つめられれば、それだけ正しい判断ができる。仕事への取り組み方、上司への対応、得意先との付き合い方など、自分を見失うことなく、結果的に自分にとってベストな対応ができるのである。
これからは女性社員をみならって「この会社」と言うようにするといい。ちょっとした呼び方の違いなのだが、それだけで、会社を見る目はかなり変わってくる。