【萩本欽一】負けるが勝ち、勝ち、勝ち!

萩本欽一】負けるが勝ち、勝ち、勝ち!(2012/10/5)
※以下抜粋

■p22
 30代に入ると、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日系)と、僕の名前がついた番組がつぎつぎ始まりました。もうこのときには贅沢なことにはお金を使っていなかったし、忙しくてお金を使う暇もない。

 でもね、たいした才能もない僕が不相応に大金を溜めこんだら、きっと不運がくる。そう思って、競走馬を買うことにしました。僕、親父の影響で馬が好きになっていたんです。

 (中略)

 馬の成績と僕の仕事運は見事にシンクロしてました。馬がよく走ってるときはテレビ番組の視聴率が下がるし、馬の調子が悪いと視聴率が上がっちゃうの。

 一度、それまでより高い馬を勝ったら、厩舎に入れたとたん暴走して骨折してね。調教師さんはものすごく恐縮して「申し訳ありません」って言ってたけど、「大丈夫、その分番組に大きな運がくるから」って僕は言ったの。本当にその直後に、『欽ドン!』が初めて視聴率30%を超えました。

 そんなことが続くと調教師さんもそれがわかってきて、「番組、また30%を超えましたね。また今日も馬の成績はよくないかもしれませんね」とか言うようになってきた。でも僕はそれでもいいの。テレビの仕事に命を懸けてたから、視聴率がよければ馬がビリでもかまわない。

 運ていうのは、こういうものなんです。同じときにあれもこれも運がつくことなんて絶対にないから、欲張らないことが大事なの。

 

■p34
 僕にお金の借り方を教えてくれた安是兄貴が、今度は僕のところへやってきてこう言いました。

 「俺、新潟に転勤辞令が出ちゃった。今まですごく頑張って働いてきたのに、今から地方勤務を命じられるのはサラリーマンとして非常に屈辱的だ。もう辞めたい。辞めたあとは靴屋さんをやろうと思っているんだけど、お前、その資金を出してくれないかな」

 僕は即座に断りました。冷たい? いや、そうじゃなくて、会社を辞めたら兄貴の運が悪くなると思ったからです。

 「会社を辞めて靴屋さんをやっても、絶対成功しない。だって、好きで始める仕事じゃなくて、腹を立てて始める仕事だから。仕事っていうのは怒りからスタートすると必ずだめになる。店を始めても、最初から売れるとは思わない。でも意地があるから、無理して成功させようと思って病気になるよ。結局は自分も店もつぶれるはめになっちゃう。それが運ていうやつなの」

 

■p120
 「負けるが勝ち」

 よくこう言いますよね。僕もそう信じてます。

 でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか? 国語の辞書を見ると、”強いて争わず、相手に勝ちを譲るのが結局は勝利になる”なんて書いてある。だけど、この説明じゃあ、わかったようでわからないですよね。

 僕なりの理由はこう。”負けた人のほうが運がたまるから”。誰でも必ず人と意見が衝突することがあるけれど、そういうとき「自分のほうが正しい」とか「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。でも、そう思ったら負け。勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

 カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。「てめえ」でマイナス2ポイント、「バカ野郎」で8ポイントの減点。売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵ってると、それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

 だから言い合いになったときは、自分が正しいか正しくないかということより、運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。

 具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。「そうか、悪かったね」とか、「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。

 えっ、そんなの悔しい? そう、悔しいよね。自分が謝る場面じゃないのに「悪かったね」なんて言うと、損したような気がする。でも、そのときあなたには、相手が失った10ポイントの運がたまっています。気持ちで損をするのと、運が10ポイントたまるのと、どっちをとるかっていったら、運がたまるほうがいいでしょ? こうやって少しずつ運のポイントをためていれば、宝くじだって当たるかもしれないしね。

 もう一つ大事なのは、自分が一歩引くことによって、相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。それでまた10ポイントついてくる。

 もしかしたらけんかしたあと、その相手と友達になれるかもしれない。そうすると、そこにもまた運がついてくる。人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

 どんな言葉で謝ったらいいかは、その状況や相手によって、自分で考えてね。「ちょっと言い過ぎたよ」「いや、俺もよけないことまで言っちゃって」なんて会話が最後にできると、二人に10ポイントずつ入ります。そこで、あ、こいつも悪いやつじゃないんだ、と気がついたら、一気に100ポイントぐらいたまっちゃいます。

 だからバ~ンと言われても、ぐっとくらえて言い返さない。負けるが勝ち。いや、我慢していい言葉を返していくとポイントが次々に加算されるから「負けるが勝ち、勝ち、勝ち」だね。勝ち、勝ち、勝ちって、火打石がカチッ、カチッ、カチッと鳴って火がポッポッポッとつくようで景気もいいでしょ。

 今の日本では、運をなくしてる人が多いですよね。これもみんなが怒りっぽくなってることと関係あるんじゃないかな。これからは相手に一歩譲る人になって、小さな運を少しずつためていきましょう。

 

■p126
 僕が非行に走らなかったのは、偉かったからでもなんでもない。いやなことに抵抗する力が決定的に弱かったから、耐えてただけなの。でもね、ある事件をきっかけに、弱々しく沈んでいるだけではいけないな、と思いました。

 高校時代はたくさんのアルバイトをしましたが、その中に西銀座デパートの掃除というのがあってね。ある日、うずくまって階段を拭いているとき、急ぎ足で階段を降りてきた人に、ポーンと蹴られたんです。そのとき僕、とっさに「すいません」て謝っちゃいました。

 そしたらなんと、向こうが「気をつけろ、ばかやろう! 危ねえじゃないか!」って言ったの。

 僕、そのとき気づきました。な~るほど、貧乏すると言葉が卑屈になるんだ。つまり「ごめんなさい」がすぐ出ちゃう。負け癖が言葉にも表れちゃうんです。

 普通はこんなとき、僕のほうが「人を蹴るとは何事ですか」って、怒ってもいい立場ですよね。それなのに、とっさにこっちが謝った。相手は僕が弱気だから勢いづいて、「危ねえじゃないか!」って怒鳴ってる。すごくみじめな思いをしたなぁ。

 あの日、僕の中で何かが確実に変わりました。このままでいいわけがない。これ以上長くこの位置にいると、貧乏な習慣から抜けられない。早く抜ければ解消できるから、早くこの場所から抜けよう。そう思ったの。

 でも同時に、「運」というものも考えました。

 「こっちが悪くないのに謝って、向こうに逆切れされたんだから、神様はきっと僕にポイントをくれる。このポイントは高いよね。あっちはマイナスだよ。絶対にいいことあるよ。これでいいことがないと最悪だね」

 心の中でこう思っていました。僕、根性ないから、「今に見ている」なんていう言葉が使えないんです。そんな発想もなかった。だから運の神様に話しかけちゃう。

 「神様、今の悲惨な現場、見てくれましたよね。ポイントよろしくね」

 そう思うのがせいぜい。

 だけど、今考えてみると、あの場面で「今に見ていろ」なんて言葉で闘わなくてよかった。それをやっていたら、近づいてきた運が台なしになっていたと思うから。

 腹が立ったから「ヤケ酒だ」なんていうのもいけません。せっかく運がたまりかけているのに、うっぷんを晴らして帰ったら、運は飲み屋に置き忘れてしまいます。

 だから、「負け好き」になったほうがいいの。でも、ただ漫然と「負け」の位置にいるんじゃなく、いつかはここよりもう少し楽しい場所へ行こうと考えていることも大事なんです。