【松田公太】仕事は5年でやめなさい

松田公太】仕事は5年でやめなさい(2008/5/20)

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 「自分はこの会社にはずっといるつもりはありません。5年後にはやめるつもりです」

 当時の私はこう決心していましたが、もちろん表立って口にすることではありません。

 けれど、「とにかく会ってくれ」と何人かの銀行の人に会わせてくれた先輩だけには、私はそれを打ち明けていました。それでも彼は変わらず親身に誘ってくれたのです。アメフト部の先輩で、三和銀行に勤めている方でした。

 当初私は、食品メーカーか商社に就職するつもりでした。食に関する分野での起業を目指している私としては、そちらに進むほうが早道だとそのときは思っていました。

 堅い銀行員のイメージは、自由奔放に生きてきた私にはもっとも遠く、そぐわないものでした。

 「公太が銀行員になるなんて思ってもいなかった」

 実際に銀行に入ったあと、よくそう言われたものです。それでも、どんな起業の責任者でも会ってくれる、財務(数字)に詳しくなれるといった利点を考慮し、私は銀行を選びました。

 その銀行で、私は給料の5倍は利益をあげようと決心していました。銀行側からすれば、給料の5倍稼いでくれるのですから歓迎すべきことに思えます。

 にもかかわらず、上司と摩擦や軋轢が起きることもたびたびありました。日本社会の弊害というべきものに、やはり私も阻まれたのです。

 たとえば銀行には、外回りをしていてもお昼には必ず一度戻る、夕方4時には支店に戻るという規定がありました。外回りをしている身には、非常に効率の悪い決まりです。しばしば遅れて帰る私の耳に、「松田の成績がいいのは、規則を守らず長い時間外を回っているからだ」といった声が聞こえてきます。支店の営業でトップの成績だったにもかかわらず、そのような支店内のルールをときに破って仕事に没頭する私を疎ましく思う先輩や上司もいました。

 人と同じことをしないと非難される。これではやる気を失っても不思議はありません。そんなとき、私を腐らせず、より奮起させたのは、5年後の目標でした。

 5年後の自分をイメージし、自分のために仕事をしていましたから、批判されても、すぐにマイペースに戻ることができました。

 上司の理不尽な叱責や非難、同僚の中傷といった、人間関係に悩む人は多いものです。近年は、鬱病やノイローゼになる人も増えています。

 それを乗り越える方法としても「5年でやめる」という考え方は有効かもしれません。どうせ5年でやめるのだからという意味ではなく、その5年間にとにかく学べることはすべて学ぼうという姿勢が生まれるからです。

 学んで自分を成長させようという姿勢があれば、たいていのことは我慢できるものです。

 大学時代のアメフト部でこんなことがありました。

 練習に1分ばかり遅刻した私は、先輩に「責任を取れ!」と詰め寄られました。「責任」とは坊主になることだというではありませんか。

 帰国子女の私にとっては、どうしてそれとこれとがつながるのかと、非常に驚きでしたが、「郷に入っては郷に従え」。そもそも、私が日本の大学で体育会に入ったのも、その日本独特の考え方などを学ぶため。そう思い直し髪を剃ることにしました。

 剃ると決めてしまえば、不思議と、そんな自分を客観的に見ることができました。

 アメリカでサッカーをやっていた自分が日本に帰ってきて、自ら規律の厳しいアメフト部に入って、今頭を剃っているよと、自分で自分の行動がおかしくて笑えてきてしまう。自分を楽しめてしまったのです。

 その魔法の粉は、「この期間、この瞬間に、すべてのことを学んでやるぞ」という自らの積極性だったのです。