【千田琢哉】「やめること」からはじめなさい

【千田琢哉】「やめること」からはじめなさい(2011/11/24)
※以下抜粋

■p3
 飛躍できないのはたくさん荷物を持ち過ぎているからだ。

 第2志望から第100志望を捨てて第1志望だけに専念すれば今すぐ飛躍できる。

 「努力する」のではなく「やめる」ことが飛躍のコツなのだ。


■p12
 本書を手に取ったあなたは、きっとがんばる人に違いない。がんばる人じゃなければ、そもそも本なんて読みやしない。がんばる人じゃなければ、そもそも書店に足を運ぶこともない。私はがんばる人の応援だけをしたい。

 世の中にはがんばる人のための本はたくさんある。がんばる人がもっとがんばるための本がたくさんある。私も人から「がんばってますね」と言われ続けてきた。その度にとても嫌な気持ちになった。がんばるだけで人生を終える人をたくさん見てきたからだ。

 どうも天国と地獄は死後の世界にあるのではないらしい。生きている間にこそ天国と地獄が存在するのだ。

 がんばらなくて報われないならまだ諦めがつく。がんばって報われないのでは死んでも死に切れない。人生の大半の時間を費やしたのに報われなかったら悲惨だ。

 やっぱりがんばった人には報われてほしい。報われやすくなるともっとがんばれるようになる。自分で意識なんてしなくてもがんばれるようになる。毎日笑顔で人生を送れるようになる。

 がんばっているのに報われない人生を、報われる人生へと一変させる方法は一つしかない。

 手放すことだ。

 今まで正しいと頑なに握ってきた固定観念を手放すことだ。今いる地獄から飛躍できないのは、多くの固定観念という荷物を持ち過ぎていたから。ほんとうにただそれだけの話なのだ。

 あれもこれもとしがみついていた、あなたの人生の第2志望から第100志望を手放すのだ。一つずつでいい。

 一つ手放すたびに嘘のように身軽になって幸福を感じる。第1志望だけに専念すれば自ずと飛躍できる。

 飛躍できなかったのは、過去の栄光を手放す勇気がなかったからなのだ。

 

■p24
 嫌いな仕事をするのをやめる。

 クビになるんじゃないかって?

 クビになってしまえばいい。

 クビは死刑宣告ではない。

 自由への扉なのだ。

 好きなことのために妥協するならまだしも、嫌いなことのために妥協してはならない。

 明日はデートだから今夜は少し多めに仕事を片付けておこう、という妥協ならいい。

 嫌いなことのために妥協するのは人生における無駄以外の何ものでもない。

 嫌いなことのために妥協している人は、生きているふりをしながら実は死んでいるのだ。

 ただでさえ仕事が嫌いなのに、さらに嫌なことを頼まれて思わず「えー!?」と言いたくなるようなことは、これからの人生において一切やらなくていい。

 やらなくていいのではなく、やってはいけないのだ。

 嫌なことを嫌々すれば、頼んだ人も不幸になるし何よりもあなた自身が不幸になる。

 生涯賃金で見ても結局少なくなるし、奇跡的にこの世に生まれた命の無駄遣いでもある。

 「確かにそのとおりだけど、それではすぐクビになるのでは?」という心配は無用。

 クビは死刑宣告ではない。

 自由への扉なのだ。

 クビになってもこれからの時代、生きる道はいくらでもある。

 もちろん転職も一つの手段ではあるが、起業するのもいいし出家するのもいい。

 今までの延長線上にあなたの幸せがあるとは限らない。

 否、今までの延長線上こそが地獄であって延長から外れたところに幸せがある。

 職業は無限にあるし、自分で好きなように作ってしまえばいい。

 長い目で見ると好きなことのためにしか妥協しない、という人だけが幸せになっている。

 「面倒くさいから嫌です。それではサラリーマン失格なのでクビにしてください」と言って将来そのエピソードを本に書いてベストセラーにしてしまうこともできる。