【苫米地英人】君は1万円札を破れるか?

苫米地英人】君は1万円札を破れるか?(2011/12/30)
※以下抜粋

■p50
 そもそも、人間は生きるためには、そんなに多くのものを必要としません。最低限の水と空気と食べ物があれば、生きていくことができます。水と空気はタダですし、食べものだって、この国には捨てるほどあります。

 「あれを買いたい、これを手に入れたい」という欲求を我慢すれば、さしあたって生きていくのに困るわけではないはず。ところが、「飢えて死ぬのが恐い」という生存本能に、「より多くの欲を満たしたい」という煩悩が上書きされて、「お金がないと不安」という心理がより強固なものになっているのです。

 これも、経済的な支配者たちの巧妙な洗脳の成果といえるでしょう。一方で、「収入が低いのはやばいですよ」「お金をたくさん稼がないと生活できませんよ」と不安を煽り、もう一方で、「お金さえあれば、すてきな物が買えますよ」「こんなにいい思いができますよ」と煩悩を焚き付ける。こうしてお金を絶対視させることで、まるでお金が人々の生殺与奪(せいさつよだつ)を握っているかのように思わせるのです。人々がそれを信じれば信じるほど、お金を自在に動かすことのできる支配者たちの権力は強まります。このワナを逃れるために、

 ①お金に絶対的な価値はない
 ②お金がなくても死なない

 という2点を徹底して、あなたの脳内に正しく書き込んでおきましょう。これが、お金に支配されないための前提条件です。

 

■p106
 もし多くの日本人に「豊かになった」という実感があったのだとすれば、それは単に、身の回りに物やサービスがあふれるようになったからでしょう。経済成長によって所得が増加したことや、大量生産によって商品の価値が下がったことで、それまでは上流階級にしか手が届かなかった商品が、多くの世帯に普及しました。

 また、終身雇用を前提とした日本独特の企業社会の成熟に伴い、労働者に対する信用が増して、簡単にローンを組めるようになりました。ローンを組んでマイカーやマイホームを手に入れることを励みに、サラリーマンたちは必死になって働いた。それが結果的に、経済成長を支える原動力となったわけです。

 こうして日本は、世界でも有数の消費社会(資本主義が発達し、ほぼすべての国民が、企業が供給する商品を一様に享受できる社会)化を遂げました。10代、20代の女の子が当たり前のようにルイ・ヴィトンのバッグを所有している国など、日本くらいのものです。しかし、いったい、それがなんだというのでしょう?

 コマーシャルに洗脳されて、本来ならたいして欲しくもなければ、必要でもないはずの物を買わされているだけではないですか。もしテレビなどのメディアがなく、コマーシャルを見ていなければ、そんなに多くの人が同じような物を欲しいと思っていないはずです。欲求と消費を巧みに操られ、それをかなえられることで、豊かだと思い込まされてきた。それが私たちの真の姿だったのです。

 

■p164
 さて、「お金がなくて、欲しい物が手に入らない……」という人は、次の2通りのパターンがあると考えられます。

 ①欲しいと思っている物が、実は本当に自分の欲しい物ではない。
 ②本当に欲しい物だが、それを買える自分というエフィカシー(自分の能力に対する自己評価のこと)が持てない。

 ①はよく見られるパターンです。というよりも、資本主義社会を生きる人の99%くらいは、そうかもしれません。欲しいと思っている物は、今よりお金があれば欲しいけれど、実は、どうしても手に入れたいというほどではない。すなわち、本当に必要としているわけではないのです。

 資本主義経済の中で行われている最大の洗脳行為は、消費行動の徹底的なコントロールです。「あれが欲しい、これが買いたい」という消費欲を焚きつけることによって、人々にお金に対する執着心を植え込み、その執着心の強さを競わせることで、資本主義経済は膨れ上がってきました。経済支配者たちにとって、消費を操ることこそ、彼らの支配の及ぶ領土を広げ、自らの元に権力を集中させるための仕掛けなのです。

 わかりやすいのは、CM(コマーシャル・メッセージ)です。CMの第一義は、こういう商品があると世の中に知らしめること。人は、自分が知らない物を欲しいと思うことはできません。私たちも、テレビやインターネットの広告をいっさい見ないで過ごしたなら、そうそういろいろな物を欲しいと思わないでしょう。

 CMの最も有効な手法は、視聴者にいかに自分の現状を不満足に感じさせるか、ということです。たとえば、ハイビジョン・テレビのCMであれば、画面に映されるのは必ず、普通の家には不釣合いなほど大きな画面サイズのテレビです。広いリビングで、美人の女優が大画面テレビで美しい映像を眺めています。すると視聴者は、「いいなぁ、ああいう生活がしたい」と思い込まされるわけです。自分のワンルームに置かれたちっぽけなふるいアナログテレビがみすぼらしく見えて、その現状がなんだか不満足なものに感じられてきます。本当は地デジ移行を機に、「テレビなんか見なくていいや!」と捨ててしまえばいいのに、「買い換えなくちゃ」という気にさせられてしまうのです。