【堀江貴文】ゼロ

堀江貴文】ゼロ(2013/10/31)

■p108
 おそらく、当時インターネットがビジネスになると「真剣に」考えていたのは、日本中で100人くらいだったと思う。僕は幸いにも100人のうちの1人に入ることができた。まさに川を流れる大きな桃だ。このチャンスを逃してしまったら、必ず後悔してしまう。

 僕は書店に駆け込み、『有限会社のつくり方』という本を手に取った。

 誰もやらないのなら自分でやるしかない。いま、このタイミングでやらなければ、あっという間に1000人が気づき、1万人が気づき、僕は「その他大勢」になってしまう。そうなれば資本の力に負けてしまうだろう。何者でもない学生の僕に勝機があるとすれば、スピードだ。そこで勝つしかない。もともと会社員になるつもりはなかったし、起業の意思は持っていた。本を読むかぎり、会社をつくるのなんて簡単だ。

 アルバイト先の会社に独立の意思を伝えると、月70万円という破格の給料を提示されてまで慰留を受けたが、それも断って退路を断った。急げ、急げ、急げ――。

 そして1996年の4月、僕は東大に籍を置いたまま「有限会社オン・ザ・エッヂ」を起ち上げる。六本木の雑居ビルに借りた7畳の小部屋には、大急ぎで揃えた中古パソコンとリサイクル家具だけが並んでいた。

 僕はこの起業に際して、とにかくスピードだけを最優先に考えていた。あと1年、せめて半年でもアルバイト先にとどまっていれば、会社の設立資金なんて簡単に貯まる。しかし、その1年が待てない。半年すら待てない。

 結局、僕は貯める道を選ばず、600万円を借金することによって起業した。ちょうど中学時代に親から借金してパソコンを買ったのと同じだ。僕には、前しか見えていなかった。

 


■p161
 「悩む」と「考える」の間には、決定的な違いがある。

 まず、「悩む」とは、物事を複雑にしていく行為だ。

 ああでもない、こうでもないと、ひとり悶々とする。わざわざ問題をややこしくし、袋小路に入り込む。ずるずると時間を引き延ばし、結論を先送りする。それが「悩む」という行為だ。ランチのメニュー選びから人生の岐路まで、人は悩もうと思えばいくらでも悩むことができる。そしてつい、そちらに流されてしまう。

 一方の「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。

 複雑に絡み合った糸を解きほぐし、きれいな1本の糸に戻していく。アインシュタイン特殊相対性理論が「E=mc2(にじょう)」というシンプルな関係式に行き着いたように、簡潔な原理原則にまで落とし込んでいく。それが「考える」という行為だ。

 物事をシンプルに考え、原理原則に従うこと。理性の声に耳を傾けること。

 それはある意味、沸き上がる感情とのせめぎ合いでもある。ダイエットに際して、理性では「運動しなきゃ」と思いながら、感情が「でも面倒くさい」とサボりたがることもあるだろう。感情を退けて下す決断は、ときに大きな痛みを伴うのだ。

 ただ、これだけは確実に言える。

 感情に流された決断には、迷いがつきまとい、後悔に襲われる可能性がある。

 しかし、理性の声に従った決断には、迷いも後悔もない。過去を振り返ることなく、前だけを向いて生きていくことができる。

 どれほど複雑に見える課題でも、元をたどればシンプルなのだ。

 シンプルだったはずの課題を複雑にしているのは、あなたの心であり、揺れ動く感情である。そして自分の人生を前に進めていくためには、迷いを断ち切り、シンプルな決断を下していく必要がある。決断できなければ、いつまでもこの場に留まり、「このまま」の人生を送るしかない。

 僕は前を向くため、一歩を踏み出すため、そして迷いを捨てて働くため、シンプルな決断を繰り返してきた。