【姫野友美】男はなぜ急に女にフラれるのか?

【姫野友美】男はなぜ急に女にフラれるのか?(2007/10/10)

■p44
 「エサをくれない」と不満をぶちまける女には「エサをあげる」のがいちばん簡単な方法だ。エサをやらなければどんな金魚だって色が褪せてしまう。問題はエサの大きさとタイミングだ。

 いままで放っておいた罪滅ぼしのためと、ある日突然、高級レストランに誘ったとしよう。男の期待に反して女は戸惑う。そんな高級レストランに行くのに着ていく服がない。何を着て行こうか、アクセサリーは? 靴は? バッグは?

 「それならそうと早く言ってくれればよかったのに。準備しておいたのに」と怒られる。レストランに着いたら着いたで、「こんな高いレストラン、もったいないじゃない。このお金があれば……」と文句タラタラ。せっかく喜ばそうと思ったのに、いったい何なんだその態度は、とこっちが怒りたくなる。

 女は男が想像するようなビッグな幸せを実は好まない。女はあまりビッグな幸せがあると、それと同じくらいビッグな不幸があるのではないかと不安になる生き物なのだ。

 女は小さな幸せが好きだ。これくらいの幸せなら、誰も怒らないよね、と安心できる。小さな幸せがたくさんあるのが好きだ。つまり、「プチ幸せ」。

 女を驚かせたいなら「プチサプライズ」がお勧め。「お誕生日にプレゼント」はもう古い。「お誕生日じゃない日だからおめでとう」なんて訳のわからないサプライズに結構反応するのだ。思いがけないプレゼントにいつもよりワンランク上のレストラン、ワンランク上のホテルに大喜びすること、間違いなしである。竹内まりあの歌ではないが、「毎日がスペシャル」だと思わせるのがコツだ。

 女はプチサプライズを糧としてドーパミンを活性化し、どんどん元気になる。

【水島広子】整理整頓 女子の人間関係

水島広子】整理整頓 女子の人間関係(2014/4/25)

■エピローグより
 最後に、第1章で挙げた「女」の特徴を見ながら、おさらいとして、「女」度が低い人とはどういう人かを振り返っておきましょう。

 【女】「女の敵は女」とよく言われるように、自分よりも恵まれた女性に嫉妬し、その足を引っ張ろうとしたり、幸せを奪い取ろうとしたりする。
  ↓ 
 【「女」度の低い人】他の女性のことは気にしない。他の女性が優れていようと、恵まれていようと、「人はそれぞれ」とただ考える。基本的には温かく、他人に強力できる場合には協力する。


 【女】表裏がある。表ではよい顔をしていても裏では陰湿。「それ、かわいいね」などと本人には言いつつ、裏では「ださいよね」などと言ったりする。
  ↓
 【「女」度の低い人】表裏がない。


 【女】男性の前で「かわいい女」「頼りない女」を演じる。
  ↓
 【「女」度の低い人】男性の前だろうと女性の前だろうと自然体で振る舞う。演じることはしない。


 【女】他の女性を差し置いて、自分だけが好かれようとする。
  ↓
 【「女」度の低い人】自分がしたいことをする。「どうすれば人から好かれるか」にあまり関心がない。


 【女】恋人ができると変身する。すべてが恋人優先になり他の女友達には「無礼」としか思えない態度をとるようになる。
  ↓
 【「女」度の低い人】女友達は女友達でそれまで通り大切に扱う。あるいは、恋人も、自分の友人関係の中にうまく位置づけて、恋人と友人が相互に交流できるようにする。


 【女】すぐに群れたがる。「群れ」の中では均質を求め、異質なものを排除しようとする。
  ↓
 【「女」度の低い人】一人でいることに問題を感じない。複数でいるときも、排他的な態度はとらない。


 【女】自分は自分、他人は他人、という見方をすることが苦手。自分とは違う意見やライフスタイルを持つ相手を尊重できず、「自分が否定された」とみなし、そういう人を「敵」ととらえる。
  ↓
 【「女」度の低い人】多様な意見やライフスタイルを尊重できる。


 【女】感情的に「敵」「味方」を決め、自分をちやほやしてくれる人には限りなく尽くす一方、自分の「敵」に対しては、とことん感情的に攻撃する。その感情的攻撃は、多くの場合「正論」という形をとり、主語は「私は」ではなく「普通は」「常識的には」など。
  ↓
 【「女」度の低い人】「敵」「味方」という見方をしない。感情的に動かず、公平で、一貫性がある。全体に愛想がよく、人と距離をとるのが上手。


 【女】陰口やうわさ話、つまり他人についてのネガティブな話が好き。
  ↓
 【「女」度の低い人】陰口やネガティブなうわさ話はしない。


 【女】ストレートに話さず、間接的で曖昧な話し方をして「ねえ、わかるでしょ」というような態度をとる。そしてわかってもらえないと機嫌を損ねる。
  ↓
 【「女」度の低い人】人にわかってほしいことがある場合は、「私は」を主語にして、できるだけ直接的な話し方をする。自分が困っていることを話して協力を依頼する。


 【女】「お母さんぶり」「お姉さんぶり」をする。相手のことは自分が一番よくわかっている、という態度で、悪気はなくとも、意見の押しつけをしたりきめつけをしたりする。
  ↓
 【「女」度の低い人】それぞれの領域を尊重する。自分の領域を尊重する。自分の領域に責任を持つと共に、相手の領域を侵害したりしない。相手には、自分にはわからない事情があるのだろうと見ることができる。


 いかがでしたでしょうか。こんな人になれたら、単に女性同士の関係がうまくいくだけでなく、自分がとても自由で力強い存在になれる、とイメージできると思います。

 もちろん社会にはまだまだたくさんの「女」がいますので、女性同士の関係は日々難しいのですが、まずは自分が「女」を手放してみる先駆者となることで、自分自身の人間関係をスムーズにすると共に、周りの女性の「女」度も下げていきませんか?

【幕内秀夫】粗食のすすめ

幕内秀夫】粗食のすすめ(2000/10/10)

■p54
 私たちがダイエットや食生活について考えるとき、もっとも頼りにしているのが栄養学(食品栄養学)だ。しかし、今まで述べてきたように、それにはいくつもの欠点がある。

 戦後の栄養学が犯した大きな過ちに、「ご飯ばかり食べていると栄養のバランスがとれない」というものがある。欧米の食生活にならって、牛乳を飲み、チーズや肉を食べたら野菜も食べ、そこではじめてバランスのとれた食事になるというのだ。

 しかし、そうだろうか。「バランスのとれた食事」の「バランス」とはいったい何なのだろう。ここでは、今まで述べたことと別の見地から示したい。

 例えば、北極圏に住むイヌイットの人たちは野菜はほとんど口にせず、アザラシや白熊の肉を主食にしている。パプア・ニューギニアの高地で暮らす人々は、1日に1キロ以上のサツマイモを食べ、それ以外はきわめて少ない。

 日本でも、大正10年頃までは、1日に米391グラム、茶碗で6杯は食べていた。しかも、これは乳幼児も含めた全国民の平均だから、成人はもっと食べていたことになる。それでも、当時の日本人やイヌイットは「栄養のバランスが悪いためにとくに病弱だった」という話は聞いたことがない。むしろ「バランスのとれた食事」をしているはずの現代のほうが、貧血やアレルギー疾患などの慢性病が増えているのだ。

 一体どうしてなのだろう。

 それは、イヌイットやパプア・ニューギニアの人たちが、自分たちの生まれ育った土地のものを食べているからだ。過去何千年という歴史のなかで、先祖たちが食べては捨て、食べては選んで、ようやく作り上げた食習慣を守っているからなのだ。そうした伝統的な食習慣は、世界中どこでも、その土地に育った人の体質に一番合うものがあるはずなのである。

 ところが、現代の私たちがお手本としてきたのは、そもそも、日本の伝統的風土に根ざしたものではなく、日本とはまったく違う風土で育ってきた「ドイツの栄養学」なのだ。「稲が育たないから麦をつくってきた」土地の食事を、「稲作に適した」土地に住む人々が無理矢理マネしてきたのだ。

 戦後約50年の食生活は、何百年、何千年もかけて伝統食が育んできた日本人のからだに、別の土地の伝統食を与えてきた歴史だといえる。納豆を食べない欧米人に「バランスが悪い」とはいわないが、チーズの嫌いな子どもには「栄養が偏る」と叱る。これほど「バランス」の悪いことがあるだろうか。

 


■p199
 「現代人はビタミン、ミネラルが不足しています。普段の食生活では十分にとることができません」

 「ビタミン剤のような錠剤を飲むことも現代人の知恵なのです」

 よく耳にする言葉だ。

 たしかに、現代の食生活はこれまでに述べてきたように、精製品だらけ。野菜にしても、化学的農法、ハウス栽培が増え、ひと昔前の野菜とは成分も変わってきている。ある種のビタミンやミネラルが不足していることは事実である。

 しかし、ここに大きなウソがあることを知る必要がある。

 例えばビタミンについて考えてみよう。私たちが生命を維持するために必要なビタミンがいくつ必要なのか、答えられる人はいない。答えられるとしたら「現在までに分かっている範囲では……」という条件が付く。将来、私たちが生きていくためには100.1000のビタミンが必要だということが分かる時代がくるかもしれない。

 実際、鈴木梅太郎がビタミンB1(命名者はフンクだが)の存在に気づいたころは、ビタミンB1しか分かっていなかったからビタミンと呼ばれていた。ところが、その後、様様なビタミンの存在が分かって、B1・B2・C・D……と増えてきたのである。

 必要なビタミンの種類も数も分からないのに、何が不足しているのか分かるはずがない。ましてや、それを補うことなどできるはずがないのである。むしろ、ビタミンやミネラルがいくつ必要なのかそんなことは重要ではない。大切なのは、そんなことは知らなくても生きてきたという事実だ。

 大きな不都合がなかったということは、ビタミンもミネラルも過不足なくとれていたということではなかろうか。だからこそ、普段の食生活を見直すべきなのである。大きくいえば、農業や食品産業、流通などの問題も真剣に考えなければならないのである。

 そのような問題にふれず、これさえ飲めばいい、という錠剤信仰は非常に危険なブームだといわざるを得ない。そして、この安易な風潮には人体の危険性があることも知っておく必要がある。食物に含まれているビタミンやミネラル類なら、とり過ぎるという心配はない。だが、それらを食物の中から取り出し、あるいは合成したものを多量に摂取した場合の安全性については十分に研究されてはいない。脂溶性ビタミンのA、E、D、Kなどについては皮膚炎や脱毛などの報告がある。

 何らかの病気で、多少の害があっても使わざるを得ないという事情があるなら分かる。ただし、その場合は医療機関などに相談の上で使うべきだろう。

 健康維持のために、安易に錠剤に頼ることはすすめられない。それよりも、普段の食生活を見直す方がはるかに大切なのである。

【森田正康】IQよりも、知識よりも、僕たちは知恵を身につけるべきだと思う

【森田正康】IQよりも、知識よりも、僕たちは知恵を身につけるべきだと思う(2012/9/11)

■p269
 語学で最も大切なことは、スピーキングです。語学といえば最近では英語か中国語かということになってきましたが、英語に関しては、嫌というほど勉強してきているのになぜうまくならないのか? 苦手意識が克服できないのか? TOEICの点はいいのになぜ話せないのか?

 その理由は、教育方法にあると言われています。

 みんなそうだったと思いますが、日本では今まで文法に力を置いたリーディングとライティングが重視されてきました。「三単元のsが抜けているからこの文は間違っている!」と先生に怒られて勉強してきたわけです。それじゃあ文法ばっかり勉強するようになるでしょうし、苦手だ、難しい、と思ってしまうのも無理はありません。

 しかし、実際に海外で人と話してみて気づくことですが、彼らは文法なんてあんまり守っていません。「細かいことはいいんだよ!」と言わんばかりです。

 でもそれって、日本語も同じですよね。話している時、文法を気にしたことがあるでしょうか?「『こんにちは』の『WA』って、『は』だっけ『わ』だっけ?」とか、「この言葉の活用はどうだっけ……」とか、甚だしい間違いは別としても、自分も気にしないし、相手の話していることもそんなに気にならないと思います。

 そこで、語学の習得のためのポイント1つ目。

 「神経質にならないこと」です。

 間違っても死ぬわけじゃないんだから、気楽にやってみることです。単語ばかり覚えていても、話さなければ上達はしません。

 そして2つ目は、「積極的に伝えようとすること」。

 日本人が抱える多くの問題が「話すことを恥ずかしがる」ことです。「自分の発音は完璧じゃないから」「下手だから」と、非常に消極的な人が目立ちます。

 発音はいいに越したことはありませんが、それよりも大切なのは、伝えようとすることです。

 他のアジアの国の人なんかも、発音はあんまりよくありません。でも、日本人と比べると上達がずっと早いのは一つには言語の構造などもありますが、「積極的に話そうとする」という姿勢が何よりも大きな要因となっているのです。

 重要なことをお伝えしておくと、海外では「黙ってるやつは気持ち悪い」と思われます。

 日本では、口数の少ない人は穏やかであったり、優しいと言われたり、人前に出る時に照れれば「かわいい」とか言われるものですが、海外の評価は正反対です。

 黙って話を聞き、愛想笑いやあいづちを打つ……そのくせ心の中では反対意見を持っているというのは海外の人には理解できず、「気持ち悪い」という評価になります(世界的に見るとあいづちというのは結構マイナーな文化で、「同意」のサインと見られているのです)。

 そんなこともあるので、とにかく話すようにしましょう。

 相手の話を聞く時は目を見て、思ったことはどんどん口に出してください。

 たとえそれが下手な発音でもめちゃくちゃな文法であったとしても。黙っているよりかはずっと印象もいいのです。

 自分が聞く側だったら、何も言ってくれない人と、下手だけれど一生懸命何かを伝えようとしてくれる人、どちらに好感が持てるでしょうか? もちろん後者ですよね。自分に自信を持つことは大切であると他の項目でも何度も言っていますが、会話においてもそれはとても重要なことです。英語に自信がない人ほど、自信を持って話してください。

 続いて、勉強の仕方について。

 3.「使える語学を身につける」ことです。

 英会話学校などに通われている人も多いと思いますが、ただしゃべればいいてものではありません。重要なのは、シチュエーションを想定し、予習をしておくことです。

 基本的に英語学校が用意しているプログラムと現実世界の乖離は大きなものがあるので、事前に「こういうシチュエーションのこういう時の英語を覚えたい」と要求することが大切です。

 日本のマジメ気質は子どもの教育から始まっているのかもしれませんが、小さい子がよく「giraffe(ジュラ~フ)」と流暢に発音をしているたびに僕は思います。

 人は生涯において、何回「キリン」という言葉を使うでしょうか? せいぜい、100回とかそんなもんではないでしょうか。

 それよりも、「Stir-fry」(炒める)という単語を覚えて、「チャーハンを炒めたんだけどうまく卵が混ざらないんだよね~」なんていう会話ができるようになるべきでしょう。

 日本の大学受験に出てくる単語や構文も論文や契約書にしか出てこないものも多く、たとえば「so that」もネイティブからすると「会話なのに堅苦しいね」と言われてしまうのです。

 そういう、覚えても仕方のない単語や構文を覚えるのも「使えない」理由の一つです。

 やはりここでも、どんな場面を想定して勉強していて、どんな語彙が必要になるのか、あらかじめゴールを設定しておかないといけません。

 あとは、「聞いて覚える」系の教材も、あんまり効果はないと思います。

 リスニングも大事ですが、誰だっていざ現地に行ってしまえば聞けるようになるまで時間はそうかかりません。問題は、表現力なのです。

 何より、ラクして習得できるほど語学は甘いものではありません。

 そこで、4.「モチベーションの上がるゴールを設定する」です。

 趣味ならまだしも、「仕事で必要だから」と嫌々する学習はどうしてもモチベーションが低下します。大切なのは勉強してそれがどう自分に利益をもたらすのかをイメージすることです。

 たとえば、こんなのはどうでしょうか。

 「英語を話せるようになったら、世界の10億人とコミュニケーションを取ることができる」

 2章で解説した目標設定にもつながってくる話です。

 より具体的で、夢のある目標になると、姿勢も変わってきます。

 これは「お前、英語今年中にマスターしろよ」みたいに、人に目標を与える時も同じです。

 「どれだけエキサイティングな体験ができるか、限りない可能性を想像させるよう促す」それこそが、教育に必要な考え方だと思っていますが、それは仕事も同じでしょう。

 自分自身に対しても他人に対しても、モチベーションが高まってくる目標を掲げられるような訓練をしてみてください。

【里中李生】「10年後」成功している男、失業している男

【里中李生】「10年後」成功している男、失業している男(2012/12/13)

■p99
 お金持ちは、高い買い物をして庶民から叩かれるが、実は非常にエコで、たとえば絵画などをずっと所有している。または売買して、また誰かに渡して、決してゴミにはしない。百万円もするような腕時計を買うが、それに飽きたら捨てるわけではない。友人にプレゼントしたりしている。

 ところが庶民は数百円のいらないモノをいっぱい買い、それを将来ゴミにする。私のこの持論はファンからも叱られるが、買い物が好きな人たちへの頼みは、10年後も使えるモノを買ってほしい、ということだ。洋服でもすぐに傷んでしまう安いモノもあれば、ずっと傷まないモノもある。昨年、無名ブランドのタートルネックのセーターを買ったら、着た瞬間に首のところが破れた。「いつものバーバリーにしておけば良かった」と痛感したものだ。

 車のフォルクスワーゲンゴルフのCMで、「良いものを長く使う。それが本当のエコ」という名コピーがあった。まったくもってその通りで、私はフォルクスワーゲンが欲しくなった。

 自分が使わなくなったモノでも友達にあげられるとか、中古でもちゃんと売れて、また別の人が使えるとか、そういうことに注意しながら買い物をしてほしい。安い腕時計なんか買っても、すぐにダメになるか飽きてしまうものだ。

 無論、祖父の形見などに文句は言っていない。

 ずっと大事に使えるモノを買ってほしい。

【東田雪子】育毛の真理

【東田雪子】育毛の真理(2009/5/15)

■p87
 ある日、小学校3年生の少女をともなった母親が来訪した。お母様は、少女の側頭部を示して、「1年生の夏頃、ここらへんに小さな十円ハゲができたんです」という。少女は何の感情も見せず、母にされるがままでいた。

 その少女の頭には、髪がほとんどない。まるで髪でつくられたスダレをかぶっているようにも見える。

 お母様は、
 「十円ハゲを見つけた時はびっくりしました。女の子がハゲになったら困るので、さっそく病院に行きました。塗り薬と飲み薬をいただいて、一生懸命手当てをしたのに、ハゲがだんだんひどくなって……。最初は一つだけだったのが、大きいのや小さいのが、どんどんできてしまって」

 「良いといわれると、どこでも行きました。テレビでやっている育毛サロンにも、全部行きました。それなのに、ひどくなったんです。医学書も片っ端から読みました」

 そして、そんな時、書店で拙著『確実に利くハゲ治し理論』(たちばな出版)を見つけて、「これだ」と思って、「飛んで来た」という。

 少女は、母が、これまでに受けた治療法や施術法、使用した育毛剤や薬物などを、細々と説明する横で、落ち着かない様子で、時々、チラチラと上目遣いに私を見る。

 その鬱屈した様子に、私は少女をそっと抱き寄せて、「お母さんにお願いしたいことがあったら、おばちゃんに話してみて。そしたら、おばちゃんがお母さんにお願いしてあげるから」と、耳元で小さく言った。

 すると、少女は、もじもじと体をくねらせながら、「痛いことされるのがイヤ」「学校を休みたくない」「病院はイヤ」と、小さな声で、訥々(とつとつ)と訴えた。

 私は少女のいたいけな様子に、胸がつまる思いがした。少女の悲劇は、お母様をはじめ周りの大人が、髪と頭皮についての正しい認識を持たなかったがゆえに、もたらされたものだったからである。

 話を聞くまでもなく、少女の頭に十円ハゲ円形脱毛)が生じたのは、ストレスが原因であったと判断される。

 だから、周囲の大人は、脱毛現象ではなく、少女が抱え込んでしまった、問題点を聞き出して、対処すべきだったろう。

 私は、お母様に対して、円形脱毛のメカニズムと、髪が生える仕組みなどを根気よく話して、「お嬢様の場合は、頭皮を清潔に保てば髪が再生します。今日からは、塗り薬、飲み薬、育毛剤などを一切使用されないで、シャンプーとコンディショナーだけを使用してください。数ヶ月もすると、元通りになります。病院や育毛サロンに通う必要はありません」と伝えた。

 伝えながら、母の心中を慮って、胸が痛んだ。どんなに慎重に言葉を選んでも、私が伝える内容は、ご家族のこれまでの苦労と努力を否定するものだったからだ。

 娘のためにと思って莫大な費用を投じて、必死にかけずり回った日々が、すべて無駄であったばかりか、逆に、娘の脱毛を進行させてしまった事実を、素直に受け止められるほど、人は強くない。

 「そうですか。これで安心しました」という言葉とは裏腹な、複雑な反応にふれて、私の心は重く沈んだ。私のアドバイスと、少女の願いが、母の心に届いているとは、思えなかったのだ。

 嬉しそうに、小さく手を振りながら去ってゆく少女の後ろ姿が、心痛をともなって私の目に焼きついた。

 私はこの日、改めて、一人でも多くの人に、髪と頭皮の正しい知識を伝えるための努力を、決して惜しまないことを、強く、心に誓った。

【堀江貴文】ゼロ

堀江貴文】ゼロ(2013/10/31)

■p108
 おそらく、当時インターネットがビジネスになると「真剣に」考えていたのは、日本中で100人くらいだったと思う。僕は幸いにも100人のうちの1人に入ることができた。まさに川を流れる大きな桃だ。このチャンスを逃してしまったら、必ず後悔してしまう。

 僕は書店に駆け込み、『有限会社のつくり方』という本を手に取った。

 誰もやらないのなら自分でやるしかない。いま、このタイミングでやらなければ、あっという間に1000人が気づき、1万人が気づき、僕は「その他大勢」になってしまう。そうなれば資本の力に負けてしまうだろう。何者でもない学生の僕に勝機があるとすれば、スピードだ。そこで勝つしかない。もともと会社員になるつもりはなかったし、起業の意思は持っていた。本を読むかぎり、会社をつくるのなんて簡単だ。

 アルバイト先の会社に独立の意思を伝えると、月70万円という破格の給料を提示されてまで慰留を受けたが、それも断って退路を断った。急げ、急げ、急げ――。

 そして1996年の4月、僕は東大に籍を置いたまま「有限会社オン・ザ・エッヂ」を起ち上げる。六本木の雑居ビルに借りた7畳の小部屋には、大急ぎで揃えた中古パソコンとリサイクル家具だけが並んでいた。

 僕はこの起業に際して、とにかくスピードだけを最優先に考えていた。あと1年、せめて半年でもアルバイト先にとどまっていれば、会社の設立資金なんて簡単に貯まる。しかし、その1年が待てない。半年すら待てない。

 結局、僕は貯める道を選ばず、600万円を借金することによって起業した。ちょうど中学時代に親から借金してパソコンを買ったのと同じだ。僕には、前しか見えていなかった。

 


■p161
 「悩む」と「考える」の間には、決定的な違いがある。

 まず、「悩む」とは、物事を複雑にしていく行為だ。

 ああでもない、こうでもないと、ひとり悶々とする。わざわざ問題をややこしくし、袋小路に入り込む。ずるずると時間を引き延ばし、結論を先送りする。それが「悩む」という行為だ。ランチのメニュー選びから人生の岐路まで、人は悩もうと思えばいくらでも悩むことができる。そしてつい、そちらに流されてしまう。

 一方の「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。

 複雑に絡み合った糸を解きほぐし、きれいな1本の糸に戻していく。アインシュタイン特殊相対性理論が「E=mc2(にじょう)」というシンプルな関係式に行き着いたように、簡潔な原理原則にまで落とし込んでいく。それが「考える」という行為だ。

 物事をシンプルに考え、原理原則に従うこと。理性の声に耳を傾けること。

 それはある意味、沸き上がる感情とのせめぎ合いでもある。ダイエットに際して、理性では「運動しなきゃ」と思いながら、感情が「でも面倒くさい」とサボりたがることもあるだろう。感情を退けて下す決断は、ときに大きな痛みを伴うのだ。

 ただ、これだけは確実に言える。

 感情に流された決断には、迷いがつきまとい、後悔に襲われる可能性がある。

 しかし、理性の声に従った決断には、迷いも後悔もない。過去を振り返ることなく、前だけを向いて生きていくことができる。

 どれほど複雑に見える課題でも、元をたどればシンプルなのだ。

 シンプルだったはずの課題を複雑にしているのは、あなたの心であり、揺れ動く感情である。そして自分の人生を前に進めていくためには、迷いを断ち切り、シンプルな決断を下していく必要がある。決断できなければ、いつまでもこの場に留まり、「このまま」の人生を送るしかない。

 僕は前を向くため、一歩を踏み出すため、そして迷いを捨てて働くため、シンプルな決断を繰り返してきた。